*** 2005年9月13日(火)〜4日目、私は今、風の中で眠っています ***
背中と二の腕が熱を持ち膨張を始めていたが、根性で朝風呂に入る。
こっそり持ち込みのブランチを終え、見事に乾いた洗濯物を取り込んで出発。
岡山の国体期間にぶつかったらしく、倉敷駅前には案内テーブルが出ていた。
時刻表調べをまたも忘れていたにもかかわらず、山陽本線は待つことわずか3分でやってきた。
岡山で乗り換え、瀬戸大橋経由で再度四国に入る。接続に時間がかかるようなら岡山で途中下車してどこか見に行こうと思っていたが、やはりほとんど待つことなくマリンライナーがやってきた。恐ろしいほど順調に四国入りだ。
続く坂出での待ち時間は三十分弱。朝が遅かったのでここでおやつを食べようと思い駅の売店へ行くと、揚げぴっぴなるものが売っていた。ぴっぴというのはうどんの意だという。
そうか、ここは香川県。うどん天国・讃岐なのだ。
待合室で揚げぴっぴをつまんでいると、駅員に旅の人らしい老夫婦が「この辺りで讃岐うどんを食べられるところはありますか」と尋ねているのが聞こえた。駅員は「ここの駅の近くじゃ、あまりいい店ないんですよねえ。まあ強いてましなのを出すのといえば、あの店かなあ」と教えていた。香川でまずいうどんはないと聞く。これってかなりハイレベルな比較による辛口評価なんだろうな。
ところで坂出でも、どこかで聞いたような発着音楽が流れている。松山で聞いたのと同じ曲のような気がしたので、わたしは眉間にシワ寄せて記憶の糸をたどった。
ヒントは松山と坂出に共通なものだ。四国、瀬戸内海……
『瀬戸の花嫁』か!
ようやく謎が解けた。すっきりした気分で各駅停車に揺られる。途中の多度津で立ち食いうどんメニューの中にコロッケうどんなるものがあり非常に気になった。
琴平へ到着。讃岐のこんぴらさんこと金刀比羅(ことひら)宮へ向かう。
こんぴらさんなるものが何なのか、わたしはよく知らなかった。ただ随分前から知っていたのは、
♪こんぴら舟々 追手に帆かけて しゅらしゅしゅしゅ〜♪
という妙な歌ぐらいだった。
一番最初にこんぴらさんの存在を知ったのは『二十四の瞳』を読んだときだった。あれは同じ香川県の小豆(しょうど)島が舞台で、確か子どもたちの修学旅行の行き先が琴平だったと思う。こんぴらさんからきんぴらごぼうを連想したような遠い記憶がある。
それから少し後で、母がやけに嬉しそうにこの歌を歌いながら歩いているのを目撃した。耳で聞くだけだと「こんぴらふねふねおいてにほかけてしゅらしゅしゅしゅ〜」であり、息継ぎがなく一気に歌うのでどうしても歌詞の意味がわからない。ただ「しゅらしゅしゅしゅ〜」というフレーズだけが頭に残った。
関係ないが、わたしは『君が代』の歌詞も長らく理解できずにいた。というのも、後半部分の「さざれ石の巌となりて」のところを、耳で先に覚えると
♪さ〜ざ〜れ〜(間)い〜し〜の〜(間)い〜わ〜お〜と〜な〜りて〜♪
となる。この二つの間のテンポが同じうえ、直前の「や〜ち〜よ〜に」と「さ〜ざ〜れ〜」の間より長くあくので、つい脳内で「やちよにさざれ」「いしの」「いわおとなりて」と三分割してしまうのだ。しかも「いわお」という単語を知らないから「石の岩音鳴りて?」とおかしな漢字変換に走る。
長じて「さざれ石の巌となりて」と漢字仮名交じりで歌詞を目撃し、ようやくこれらがひとまとまりであることを知るが、今度は「さざれ石の巌となりて」の意味がわからない。何かのきっかけできちんと調べたのは、恥ずかしいがたぶん二十歳を過ぎてからだと思う。
ちなみに「さざれ石」というのは細かい石のこと。長い時間をかけてこれが集まり堆積して、粘土や砂などと混ざって礫(れき)岩となり、やがて巌(大きな岩)にもなる。滋賀県との県境に近い岐阜県の春日村というところに、この歌詞の元となった歌に詠まれたモデルらしい石灰質角礫岩が実際あるそうだ。
ここで続く歌詞を見るとさらにその巌に苔のむすまで、とある。
つまりそれだけ長い間、君の代が続くように祈っているのか、あるいは続くでしょうと讃えているのか、またはその両方の意味を含んでいるのか、とにかくそれほど気の遠くなるようなスケールの歌だったわけである。
ずいぶん脱線した。こんぴらさんの話に戻る。
次にわたしがこんぴら舟々の歌と再会したのは大学卒業後、出版関係の各種学校に夜な夜な通っていたときのことだった。文字校正のクラスで配られた実習プリントの文章の一節に、このこんぴら舟々が引用されていたのである。
校正の特訓だから、とにかくイヤになるほど校正用紙を見る。初校で原稿と引き合わせて一字一句確認し、それから校正用紙のみを素読みする。再校では初校で指示した赤字の訂正がきちんと反映されているかを確認し、それからまたも素読みして校閲(内容的に誤りがないか等の確認)もする。再校で赤字が入れば三校で同じ作業を繰り返す。これが校了つまりOKを出す(または責了、印刷所に最後のチェックを任せてしまう)まで続く。
一体何度「しゅらしゅしゅしゅ〜」と見つめ合ったことだろう。
金刀比羅宮は古くから海の守り神として信仰されており、また健康や厄除けなど広く御利益があるとして、金毘羅(こんぴら)参りが盛んに行われてきたのだという。
調べてみるとこの金刀比羅宮、祭神は大物主神(オオモノヌシノカミ)こと大国主命、またも出雲の神様登場である。その後保元の乱(1156)で都を追われ讃岐に流された崇徳上皇を合祀するようになった。
金刀比羅宮の特徴は延々と続く石段。本宮へたどりつくまでに785段のぼらねばならない。参道から大門までの365段は石段駕籠屋を使っても行けるが、かなり高齢でも、下の段のほうに立ち並ぶみやげ屋が貸し出している杖を片手に自力で行く人が多い。
本宮からさらに583段のぼると奥社がある。こんぴらさんに来ている人たちの大半はバスツアーの団体客らしく、また高齢者も多いので、本宮で皆引き返すようだ。本宮を越えると一気に人気がなくなる。たまに若い衆が降りてきてすれ違ったが、ついにそれも途絶えた。
と、途中にある建物からじいさんが出てきて、石段をのぼり始めた。やけに軽快な足取りだ。聞けば社務所の人だということで(実はおそらく偉い人だったのではないかと思う)、行く道で色々話してくれた。例えば本宮から奥社への道にある樹齢260年のクスノキ。クマがいるように見える!